毎日を小さく切り取る

ノスタルジックな写真と、看護の話

思いが話せるトイレの中

「私はね、いろいろ自分でやれって言われるでしょう。しかも怒ったような口調で言うからね、だから自分で少しはやろうとするんだよ。でもやったらやったで『ちがう!』って言われるんだよ。そう言われるとやりたくても、ほら、お世話になっているからね、でもやらない方がいいのかなって思っちゃうんだよね。中には全部何から何までやってもらう衆もおるけれどね、何も言わないでね。でも私はちょっとでもやりたいから教えてもらうんだけれど、忘れちゃうこともあるんだよ。そうするとその都度聞かないといけないから、悪いなぁと思っちゃうよ。『前も言ったでしょ』って怒る人もおるんだよ。でも、こうやって面倒見てくれてることに、ほんとうは感謝しないといけないんだけれどね。ほんとにありがたいと思っているよ。でも、こう、年取って体の自由がきかなくなることはほんと情けないもんだよね。そうこう言っている間におしっこが出てきそうだよ、…」

 

トイレはいつだって秘密の場所だ。

おばちゃんの日々の気持ちが、トイレの中であふれだしていた。

 

ハッとさせられたところ

○その人にとっての自立とは?何でもかんでも手伝うのって?やってもらうのもって?個人的な価値観じゃなくて、本人の意思に耳を傾けていたか?

○怒ることは、その人の脳(意思)を奪っている

○体の自由がきかないことに対して、その状状況に置かれた人の心を理解しようとしていたか?

 

おばあちゃんのなかに、こんな葛藤があったなんて思いもしなかった。しかもこんなにつらつらと。

最後に、「こういうこともね、言える人と言えない人がいるんだよ。私はなんでもすぐに忘れてしまうから、あなたの名前すらもわからないけれど、話を聞いてくれそうだから言ったのよ。」と。

勇気に感謝するとともに、この気持ちを受けて、自分にできること、自分をどう変えられるかをかんがえる。

 

初雪の朝

雪は嫌いだ。なぜ嫌かって、交通障害を引き起こすからだ。

昼ごろまで降り続いた雪は、今年の初雪だった。現実と向き合わさせられる。これからの数ヶ月が思いやられる。

早起きにゆっくり運転、疲労とイライラを蓄積しながら職場に着く。テラスの窓の近くに、早起きして雪を見つめるおばあちゃんがいた。

「○○さん、朝から雪で寒いし早起きだしもう最悪ですよー。とりあえず早く雪止まないですかね?」。溜める場所のない不満が溢れだしてしまう。少しの沈黙の後、雪を見ながらおばあちゃんは言った。

「うーん、まぁ初雪なんだから勘弁してやってよ」。

 

参りました。

「そろそろ落ち着こうと思って」

「そろそろ落ち着こうと思って」。先日、約3年ぶりに再会した友人が繰り返した発した、結婚に向けての言葉である。
彼氏もいない、冬が近づくにつれてさみしさを感じている現在、友人の言葉はただただ衝撃的だった。
しかしもっと強くハッとしたのは、人生の時間感覚の違いというものについて。同い年で、高校時代は比較的一緒にいることが多く、なんとなく同じ時間の流れの中を生きているような気がしていた。いや、私たちは同じ時間の流れの中に、確かに生きていたし、実は今も生きている。でも、人生にはまたそれぞれの時間軸や速度そんなようなものがあるようだ。
「そろそろ落ち着こうと思って」、なんて、若干25歳が使う言葉じゃないと思っていた。でもそれは私の人生の時間軸からの見方であり、友人はもう十分遊びつくした後のなのだって。
人生のターニングポイントを迎えようとする姿を見て、友人のその大きな決断に拍手を送る。ついでに、まだまだ想像もできない自分の未来への想いも乗っけて。

「今年の七夕でな、娘に会えますようにって書いたんだよ」

 「今年の七夕でな、娘に会えますようにって書いたんだよ」。朝、松屋で彼はこう話してくれた。

  釜ヶ崎に来て、もう5日。炊き出しや夜回り、いろんな人と会って、いろんな人がいることを知った。そのうちの一人、Aさん。「バカでアホな奴です」が自己紹介のセリフで、面白く優しく、笑顔が素敵な方だ。今朝一緒に食事をした席で、家族の話になり、短冊のことを教えてくれたのであった。

「離婚してから一度も合わせてくれへんのや。会いたいんやけどな」。いつものAさんらしく、気丈に笑顔で、また軽い調子で語るのだが、私は思わず表情をなくした。

 話だけでも身を裂かれそうな状況を、彼はどう受け止めていったのだろうか。遠くから娘の成長を祈り、想像し、ていたのだろうな。もっと父親でいたかったのだろうな。

 彼の人生の片鱗に触れて、 彼の強さを痛いほど感じた。

「えっとなぁ〜、こっちやと思うで」

 おっちゃんに道を尋ねると親切に答えてくれるも、その先には目的地はなかった。

 動物園前から今池へ、歩いてドヤへ。暗いしiPadだし、なんとなく目立つと思ったので、人に尋ねて今池を目指すことにした。単純な道のりなのに、いろんな方向へ歩いては歩いた。

 道を尋ねると、「えっとなぁ〜」とタバコを吸いながら教えてくれる。そこに悪意や複雑な意図はなく、純粋に私に対して応えてくれている姿勢が伝わる(それなのになかなか目的日たどり着かないのだけれど)。

 なんとか無事にドヤに辿り着いて部屋のゴキブリチェックをし、落ち着く今。

 私に道を示してくれたおっちゃんたちは、暗闇を彷徨い、今夜は一体どこへ行くのだろうか。

 

 

 

「行ってきます」

 1週間をかけて大阪へ行く。プランは半分未定。

 名古屋に妹を迎えに行くついでにそこで降ろしてもらい、自分だけ大阪へ行く。両親と妹に見送られた。

 いままで、旅の始まりといえばいつも空っぽの部屋が送り出してくれていた。不安な気持ちを部屋に向かって「行ってきます」と呟きドアを閉めた。今思えばルーティーンだったのかもしれない。

 でも、今日は違う。家族がわたしの背中をみている。別れてからの嬉し恥ずかしい一時。

 安心して出かけられるありがたさを感じて、これから旅が始まる。

さかさまさかさ

 大学時代に出会ったある先生は、毎朝逆立ちをするそうだ。なぜって、世の中を逆さから見るためである。

 演習後の眠たい授業。寝まいと必死に字を書いて遊ぶ、逆さまにして。

 ゆっくり時間をかけて、一生懸命書いた。授業は耳と筒抜けていた。

 しかし、逆さまに書いた文字を逆さまにしてみると、なんとも可笑しく、不思議だった。上手くかけたと思っていたのに、間隔とバランスが全然整っていなかったのだ。

 逆さまにして初めて気づく、足りないところとそのユニークさ。私は逆立ちはしないけど、逆さまにあえて身を置くって大事。