毎日を小さく切り取る

ノスタルジックな写真と、看護の話

「行ってきます」

 1週間をかけて大阪へ行く。プランは半分未定。

 名古屋に妹を迎えに行くついでにそこで降ろしてもらい、自分だけ大阪へ行く。両親と妹に見送られた。

 いままで、旅の始まりといえばいつも空っぽの部屋が送り出してくれていた。不安な気持ちを部屋に向かって「行ってきます」と呟きドアを閉めた。今思えばルーティーンだったのかもしれない。

 でも、今日は違う。家族がわたしの背中をみている。別れてからの嬉し恥ずかしい一時。

 安心して出かけられるありがたさを感じて、これから旅が始まる。

さかさまさかさ

 大学時代に出会ったある先生は、毎朝逆立ちをするそうだ。なぜって、世の中を逆さから見るためである。

 演習後の眠たい授業。寝まいと必死に字を書いて遊ぶ、逆さまにして。

 ゆっくり時間をかけて、一生懸命書いた。授業は耳と筒抜けていた。

 しかし、逆さまに書いた文字を逆さまにしてみると、なんとも可笑しく、不思議だった。上手くかけたと思っていたのに、間隔とバランスが全然整っていなかったのだ。

 逆さまにして初めて気づく、足りないところとそのユニークさ。私は逆立ちはしないけど、逆さまにあえて身を置くって大事。

 

わたら のライブ

 ある市の図書館でたまたま見つけたフライヤー。最後の一枚。多民族芸能楽団わたら。

 私はまるで風になったようだった。大地の呼吸を感じて、さらなる場所へと吹きつ吹かれつ。その身軽さは、心の赴くままをゆるされたよう。

 少しお話した方に図書館でのことを話すと、「いい嗅覚!」と言われた。

 正直、私自身ちゃんとした感覚はなかった。だからもしかすると、彼らを見つけた時から、私はもう風になっていたのかもしれない。

 

 Facebookページ

https://www.facebook.com/yugafu.watara/

 

 

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音に触れ、音と遊び、大地とともに身体を揺らしたひととき。

明日からのテスト、乗り切れそうだ。

 

 

先生の字

国語の先生は面白い先生だ。彼の言葉には無駄を全く感じない。言葉のエキスパートであることをいつも感じさせる。

彼の板書への字は達筆。それでいて力強い。たまに読みづらいが、一字一字に書き手の意味を感じさせる字だ。
今日、先日提出した小論文の返却があった。朱の入った作文用紙、初めて見た板書以外の文字。力強いのに震えるような字であった。老いの影響であることははっきり分かる。
かすかに寂しさを感じつつ、魂のこもった字を見つめる。言葉を、文字を通して「伝える」ことへの情熱は、きっと永遠なのだろうな。

“ももた”ってなにか知ってる?

とある日、夜勤明けの朝。
その日の朝食は稀に見るヒット食(おいしい)だったのだろう。みんな早く食べ終わってしまい、朝の申し送りまでにいつもより時間ができた。

ただお喋りしてても眠くなってくるだけ。

なのでiPad のお絵かきアプリを使い、「わたしが描いている絵が何かをできるだけ早く当てて!」、というゲームをおばあちゃんたち四人くらいとやっていた。
だんだんみんなが白熱してくるのとは裏腹に、わたしの画力の低さが露呈しはじめ、さらに追い討ちをかけるようにネタがなくなってくる。公には言ったらちょっとまずいような激務の最終日。最後の力を振り絞って「早く家帰りたい」と心が叫んでいる。
そんな中では集中は続かず、最後のほうは「もういいや…」と、人間の体を描き矢印を書いたところの名称をいうゲームになっていた。
 
「はい、じゃあここは?」
「ももた」、「ももたでしょ」
…え、太ももを指しているんだけど…。さすがにわたしの画力がもう限界なのかorz
…というか、“ももた”って、なに。
一応、「ももたってなんですか」と聞いてみる。
「太ももだよ」、と予想通りの答え。
 
それにしても、かわいい響きだ。
おばあちゃんたちが言うと余計にかわいく響く。
(まぁこれは自分だけかもしれない)
 
も…“ももた”について知りたい……!
 
ということで人に聞いてみた。
地元出身の職員(年配の方)はもちろん知っていた。
どうやら昔は太もものことを“ももた”って言っていたようだ。
母親にも聞いてみたが、「ももたって太ももでしょ。昔はそう言ったよ、でもあんたが生まれてからは使った覚えないな」と。
 
でも、なんで“ももた”なんだ?
“もも”が腿ってのは分かる。
じゃあ、“た”って…
 
ウェブにも頼ってみる。
 
「ほおたぶら」… ほお。ほっぺた。
という言葉が横手方言辞典にあるそうで、
その「頰たぶら」の「たぶら(臀)」というのは筋肉のふくらんだ部分という意味。
「日本髪の背の面に向かって張り出した部分。転じて、頬たぶ・尻たぶの如く、やわらかくふくらんだ部分を呼ぶ」(仙台方言辞典)より、「たぶ」は「ら」の抜け落ちとみるよう。
「耳たぶ」、「尻たぶ」(初めて聞いた)も同様。東北地方の方言といえるようです。
参考 : (横手/方言散歩 http://dialect.riok.net/pageD06.html )
 
だから、「腿たぶ」の意味もそこからきているんじゃないかと。
腿たぶら→腿たぶ→ももた \^o^/ヤッター
わたしの住む地域の方言でもあるのかもしれないな。
 
 
こんなにも“ももた”に惹かれているのは、言葉の響きにわたしがただはまっただけかもしれない。
じゃあなんではまったのか。
ももたを言われた時の no idea だった自分がちょっと恥ずかしくって、ちょっくらそれを挽回したほうがいいかも…そんな気持ちを持ったから。
 
じゃあどう挽回するのか。
昔の人と同じ生活環境に身を置くのは、いまのこの世の中難しい。
でも、彼らの生活環境や生きてきた時代を、できるかぎり知りたい。よりリアルに妄想がしたい。
 
拾うのだ。
第一にアクションを与え、それに対してのおばあちゃんたちのリアクションをよく観察して、こぼれ落ちたものをちゃんと拾う。
拾うことが第二のアクションで、それをどうするかが第三のアクション。
何気なく第一のアクションを起こしたとしても、拾うべきものがあることがある。拾ったものは、興味アリって意味。興味のあることに対してはエネルギーが湧いてきやすい。
 
ももたを筆頭に、方言や地元ネタに興味が湧いて来たので、ちゃんと拾って次のステップにつなげるのを繰り返していきたい。
人に興味を持ってもらうって、なんだかやっぱり嬉しいよね。
 
 
 
はまるで人間味のない勤務シフトを組んで突きつけてくる、まともな介護どころじゃない現在の職場になんの希望を持てずにいたが、ちょっと楽しくなっていきそうなきがする。
あーした天気になーれ、ワァアアァァーーー。(長野ネタ)