小さく切り取る毎日

介護の仕事のことや看護学校の生活のこと、旅、気になったことなど

再び学校に入るということ

 

人生という経験は、自分に自信をもたせてくれる。けれどその自信は時に、自分にとっての都合の良いものとなる。自分の見たくないところを隠すためのものと。

学校という同一化、横並びが重視される場所での学びを得て、そのあと、それがすべてではないことにも気づいて、再び学校での学びの中へはいる。今の看護学校

獲得してきた個性も認めてほしいし、認めたい。けれどそれを許さないような雰囲気がある。

挑戦が怖い、失敗が怖い、差をつけられるのが怖い、見下されるのが怖い。

みんな苦しくないのかな。へんなクラスの雰囲気が、私にはすこししんどくなってきた。背筋はずっとピンとは張っていられない

 

 

 

 

もう少しで実習が始まる。

金木犀クレイジー

 

今日も金木犀の香りが私を外へ連れ出した。

何も考えずに、ただ足を前に前に出して。心地よい香りに包まれて。

今日あったテストで死んだことも、いやだったことも、頭がいっぱいいっぱいになってしまっていたことも。ぜんぶぜんぶ、心地よい刺激となって私の中に浸透させてくれる。

昨年はこの香りを閉じ込めて、ルームスプレーにした。

でも今年は、限られた期間にフレッシュな状態から感じられることをいっぱい感じようと、閉じ込めるのをやめた。

大好きな季節に大好きな香り。それだけで今日生きている意味を感じられる、乾杯。

 

反社会的とのこと

 

反社会的とはなんだろうか。

ネットにて調べてみると、サイコパスだの、反社会性パーソナリティ障害などが出てきた。最近精神科の授業でやったなぁ。自分は違うと思っているほど怖いものはないと。

 

というのも、

今日学校で必要な、あるものを購入するにあたって、その色を決めるということでlineを使った投票があった(匿名)。

好きな色を選んでいいとのことだったので、各々自由に選んだところ、ある色が一人だけだった。他は、ほぼ全員が同じ色だった。

そのとき、ある一人が発した言葉が「○○色一人いるよ、反社会的(笑)」。

 

ここにいる誰かがその一人なのに、そんなこと言うなんて…。と軽くショック。

たぶん、それが私だったからだと思う笑

空気読んでみんなと同じ色にしたらよかったのか?そしたら傷つかなかったか?

 

言葉には気を遣いたいと改めて感じた、朝の出来事。

 

 

雨ふり

 

湿気が多くて、羽毛布団のふくらみが減少した気がしている今日この頃。

カビたりしないのかな、心配。

 

クラスでは、湿気のせいで部屋が暑く感じられ涼しくしようとする人がいる一方で、それを寒いと感じる人がいる。

エアコンをつけるかつけないか。それを決定するには、エアコンの向き、風の足取り、性差、体格差、などなどいろんな入り混じった要因を考慮する必要がある。

これは、寒かったら着ればいい、暑かったら脱げばいい、そんな単純な話ではない。

エアコンのスイッチ一つでも、内に秘めたるもののせめぎあいが起きていると今日分かった。

 

大切なのは楽しもうと思うこと

 

久しぶりにコーヒー片手にナンダコーレ(http://www.spaceshowertv.com/nandacoole/)鑑賞。

 

素晴らしい動画たちに再び出会い、良さを再発見する。

今回ハマったのはこれ。

 

ばばん : ドキドキクラブ

https://youtu.be/QZ_27N_Dfjg

 

こういった感覚すごい好きだ。

喫茶店や食堂に一人で入ってぼーっとしてる時。本も持ってこなかったし、携帯見ててもしょうがないし、さて食事が来るまでどうしようかな。なんか楽しいことないかな。いや、自ら楽しもう。

 

そしてこの動画。

音声と映像の絶妙なズレもまたいいんです。

 

ドキドキクラブさんの他動画もすこしあります。

私もそんなこと考えたことある、って、全自分が激しく共感しているんです。

 

 

 

p、s、どなたか、どの回がお気に入りかシェアしてくれないかな〜、気軽にどうぞ

 

 

准看護学生キロク〜基礎実習〜

 

いや(ぁ〜)はや(いことに)、二年生になった。

注射の演習を終えて、基礎実習、つまり初めての実習までの怒涛の日々を経て、春休み。

そして二年生になったのである。

 

それはさておき、実習について。

一ヶ月の初めての実習は、とにかく開いた口が塞がらない状態。実習中も、帰ってからも、めまぐるしく時が進んでいた。

終えたあと、カレンダーを見てふと感じた、タイムスリップ感…。

病院って忙しなくて大変そうだな、いろんな人たちが働いてるんだな、看護師さん忙しそうだな、患者さん暇そうだな…。患者でもない、看護師でもない、一学生っていうなんとなくニュートラルな立場からみた病院、看護現場の印象。日々、強い風が真正面からぶつかって来るのと同じように、そういう「ちがい」が自分の中の想像をはがそうとしたり、上から塗りつぶしちゃえってかかってきたり。でも、今回はそれをただ、自然の流れの一部として受け止めて過ごした。

 

うん、終わりが見えなくなりそうだな笑

こういうことは全ての実習が終わってからまとめるとするか。

 

でもとりあえず今回の実習についてのはなしをまとめておく。

基礎実習は、

・日常生活援助の技術習得がメイン

清拭陰洗更衣体位交換の援助、あと排泄の援助がとにかく多かった。病棟や指導者の考え方にもよると思うが、もはや職員なんじゃないかってくらい援助をさせてもらうこともあった。しかし、患者さんに対して行うそれらは、学校の演習で生徒同士行ったものとはまるで異なり、おんなじ援助でも、おんなじ人に対して行うものでも、一回一回課題がてんこ盛りだった。ひたすら注意されて、反省して、意識づけをし、地道に精度を上げていく、その繰り返し。

・記録に追われる

援助ごとに反省することがありすぎて、家に帰って記録(振り返り)を書くのがたいへん。でも、援助が終わったごとにぱっとうまくいかなかったところと疑問をちょこっとメモしておくと、振り返る糸口を探す手間が省けるので家に帰ってから楽。あと、疑問を持つことが大事で、援助中も、記録を書くときも、常にwhyを逐一突き付けていくと、振り返りがなんだか深くなっていくのではないかと思った。しかし時間がかかるよ。

・患者さんがどんな気持ちがったかがおなざりに

援助では指導者の視線と緊張とおぼつかない手順ばかりを意識し、いかにスムーズに、いかに手早に、なんてことばかりが頭の中にいっぱいある。従って、反省もそういうのがメインになりがち。しかし、忘れちゃいけないのが、患者さんの気持ちについて考えること。未熟な手順の結果、患者さんがどう感じたんだろうか、どんな気持ちを持っただろうか、むしろ援助前に考え配慮することがなぜできなかったのだろうか、そこまで想いを及ばせていくことがあんまりできていなかったと、反省。

 

とにかく、実習は想像以上に早くあっという間だった。また、反省反省反省で、それでいて次の日の進歩を求められて、まさに結構極みギリギリの自己修練。

そんな中、ちょっとした患者さんの反応、笑顔に癒され、怒られ笑、グループメンバーと議論して励ましあってチームってのを学ぶ。自分の中の看護観なんてまだまだ全然できてないんだけれど、看護って面白いな、深いなと漠然と思えてよかったなと振り返る。

 

あと一ヶ月ほどでまた実習が始まるが、今しか学べないたくさんのことを引き続き見つけていきたい。

 

 

准看護学生キロク〜注射〜

准看護学校の通い始めて10ヶ月目。ようやく注射演習が始まった。

介護職を経験している自分にとっては、リネン交換、清拭などの清潔援助、排泄援助、排泄援助、食事援助などなどは、すでに現場で学ばせてもらっているものであった。たしかに、改めて勉強していくことによるさらなる理解、手技の習得、看護の視点を得ることはできたような気がしているけれど(それが学校の目的ですからねー)、あまり新鮮味がなかったというのが率直な感想。

 

しかーし、

ついにきた注射演習。

学校に入学後の健康診断、覚悟を決め、初めて自分が採血されている現場をまじまじと凝視したレベルの血、針が苦手な自分にも、ついにこの時がやってきたのである。

 

そして演習は、どうするのか。

学生同士、生身の腕に刺し合うのだろうか…、自分の学校はNOである。

ではどうするのか。私は人形か何かを使うのかなと思っていたが、使用したものは腕に巻くタイプの「採血静注練習キット」なるものであった。(Googleで画像検索すればいろんな種類が出てくるよ)

 二本(細・太)の血管を模したチューブがフヨフヨした皮膚様スポンジの下を通っており、そこを流れる水(血液という程)を、針を刺して抜くわけである。

 

感想としては、意外と難しかった。 注射器の持ち方は慣れないし、駆血帯も意外と強く結ぶのはコツがいる。先に駆血帯外して針抜いちゃったりしてね。教員も、「何度もやって身につけていくしかない」と言う。

 

でも、それより印象に残っていたのは、誰でも尖端恐怖症のポテンシャルを持っているのではないかということである。患者役として腕に練習用セットを巻きつける。もちろん、硬いプラスチックで練習セットを針が貫通するなんてことはないよう作られているのであるが、ひとたび患者役になってみると針を刺されるのが怖い怖い。まぁ、針を刺した後「あれ、水が引けないよ」と言ってぐりぐりしたり、「ちょっと待っても一回」と何度もぷすぷす刺してみたりと、そんな状況下だったからかしらね。

とにかく練習でも患者の心境の擬似体験ができたので良かったということにする。