毎日を小さく切り取る

ノスタルジックな写真と、看護の話

癒しの姿

 

万治の石仏@下諏訪

 

駐車場に車を止めて、歩いていむかいます。

紅葉と赤い橋のコントラストがきれい。

 

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強い雨降りの中。

人がいなかったものだから、じっくりゆっくり眺めました。

 

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厳しい修行を修行してるみたい。

 

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また、ゆっくりと伺います。

 

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雨だったけれど、いい天気。

 

 

サイゼリヤでの食事、虚しさを体験

 

お昼はサイゼリヤでランチしました。

とても安いですね。

店員さんの接客もよく、まずくはないんだけれど、

ちょっとした虚しさを感じました。

 

この記事を読んで、

https://heapsmag.com/sunday-art-scroll-real-time-exhibition-news-from-all-over-the-world-tetsuya-ishida-self-portrait-of-other

 

この、石田徹也さんの絵。

「燃料補給のような食事」

この絵を観て、なんだかサイゼリヤの私がこの絵に置き換えられて想像されました。

 

私と店員さんと食事。サイゼリヤで一体になにが起きていたのだろうか。

 

人がいて、注文なり提供なりを通して、人同士が関わっているはずなのに、関わっていない感がある。

食事が人同士を媒介してくれているけれど、その食事にも価値を見出せない。

 

人にも、食事にも、心がないんですね。

結果、生じる感情は虚しさ。

 

たぶんわたしは、お金払うのだからって言って、

モノと心を求めていたのだと思います。

 

チェーン店は友達と行った方が楽しいと思いました。

 

 

ケーススタディ発表会(進学コース)

 

ケーススタディ、終わりました…

 

なかなか取り掛かかれませんでした。

原本も、抄録も、PPTも、ぜんぶぎりぎり…。

頭ではわかっているけど、できないんです。

 

 

取り上げた患者さんとの関わりでは、ここでした。

 

「頭ではわかっているのにできない」

 

そんな患者さんに対して看護計画を立てても、できない、その理由もわからない。

どうして、うまくいかないんだろう…、をさかのぼると、

「自分を相手の中に見ていた」ことがわかりました。

 

私は、頭でわかっているのにできない自分を責めがちです。

頭でわかっているのにできない患者さんを見て、自分をそこに見出していたのです。

そして、自分と同じように患者さんを責める気持ちを持ってしまっていました。

 

相手と自分の関係がごちゃごちゃしている、なんかうまくいかないと思うとき、

一旦自分から自分を分離させることが必要なようです。

メタ認知的な。

そういう感じに陥りがちな自分、大きな課題がわかりました、と。

 

………

それにしても、みんなのクオリティがすごくてびっくり!

さすがアカデミックな人たちの集まりだなと思いました。

 

同時に、いつも通り比べてしまい、自信喪失。

しかし、終わった後クラスのベストを決める投票に「入れたよ」って、

直接に伝えて来てくれた子がいました。

驚いたけれど、でも、私でも、少しでも人に影響を与えられたんだ…って思いました。

もっと自信もっていいんだよ、

今の自分を認めてあげて、って言われてるみたいでした。

 

なんで自信なくなるんだろうって、考察してみました。

これはね、正しい自己評価ができていないのが原因と思いました。

私は、自分が思っている以上にちっぽけで、とりとめもない人間なんだけれど…、

プライドthingsとか、ようは、自分は実際以上にできる人間だって思ってしまっているんですね。

ありのままの自分がわかれば、それ以上も下もないし、人と比べてもなにも得るものはなくて、自分がただ傷つくだけってわかるのに…なぁ。

ありのままの自信がないから、取り繕おうとしてしまうんだと思います。

 

 

こんなことを考えました。

では、どうしていこうか…。

とりあえず、誰かの役に立てたんだって思えた気持ちを大切にすることから始めます。

伝えてくれた友人には、本当に感謝ですね。

私は、自分が投票した人に伝えようって思わなかったな。悔しかったからかな。

だからその友人は、すてきだな~と思いました。

そういう行動ができるように私もなりたいって、行動モデルは身近にたくさんいるんだよな~。

月曜日、投票した人に私も伝えよう。

 

 

准看護学生キロク~好きな看護援助は何ですか~

 

「好きな看護援助は何ですか?」

 

准看護学校で、初めての受け持ち実習を行った病棟の指導者さんに言われた言葉です。

 

確か初日で、ガッチガチに緊張している中で自己紹介が始まって…。

「名前」と「一言」、とは言っても、一言は「頑張ります」になるだろうからって、

タイトルにもある質問が振られました。

 

学生4人グループだったのだけれど、

全員、「……(ポカーン)」という状態でした。

 

その時は、

看護技術があまりに未熟で、自信もなくて、

援助を通して、どんなふうに患者さんに影響があるのか、どんな反応をもらえるのか、

そういった実際の経験というか手ごたえをもっていなくて、どうにもこうにも言う術がなかったんだと、今は思います。

むしろ、

必死に技術を練習して身につけているだけで、好きかどうかなんて考える余裕もなかった…。

 

初めて受け持った患者さんには、たくさんの援助を必要とされていました。

入浴が難しかったので、洗髪や足浴、手浴をどんどんさせてもらえました。

 

4週間の実習が終わるとき、

なぜかその質問をノートにメモしていたので(初めての実習、なんでもかんでもメモしていました(笑))、心で振り返ってみました。

 

その時の答えは、手浴。

あったかい手で、ご家族と触れ合っておられる様子が印象的だったからです。

言葉で伝えることが難しい患者さんご本人の気持ちを、ご家族が「きれいにしてくれてありがとう」と、伝えてくださったのも忘れられません。

私自身も、「きれいになるように」「あったかくなるように」「動きますように」と気持ちを込めて援助して、それが患者さんの反応となって返ってきたことが嬉しく、手ごたえを実際に感じることができた、ということも影響したんじゃないかなと思います。

 

 

そういった経験をさせてもらいながら、看護師にさせてもらっていくのだなと思います。

患者さんに合った目的、根拠、方法を考えて考えて……、

そして、自分自身の想いと患者さんのニーズが融合したような感覚を得られる援助。

そういったものが、「好きな援助」になっていくのかなって思います。

 

 

好きな看護援助はありますか?

 

 

大切なのは楽しもうと思うこと

 

久しぶりにコーヒー片手にナンダコーレ(http://www.spaceshowertv.com/nandacoole/)鑑賞。

 

素晴らしい動画たちに再び出会い、良さを再発見する。

今回ハマったのはこれ。

 

ばばん : ドキドキクラブ

https://youtu.be/QZ_27N_Dfjg

 

こういった感覚すごい好きだ。

喫茶店や食堂に一人で入ってぼーっとしてる時。本も持ってこなかったし、携帯見ててもしょうがないし、さて食事が来るまでどうしようかな。なんか楽しいことないかな。いや、自ら楽しもう。

 

そしてこの動画。

音声と映像の絶妙なズレもまたいいんです。

 

ドキドキクラブさんの他動画もすこしあります。

私もそんなこと考えたことある、って、全自分が激しく共感しているんです。

 

 

 

p、s、どなたか、どの回がお気に入りかシェアしてくれないかな〜、気軽にどうぞ

 

 

流れに乗らないしんどさ

理解していても、社会の流れに乗らない生活は疲れが溜まるものである。

年末年始はずっと仕事だった。介護職あるあるだ。お金も欲しい、特に共に過ごす人もいない。いくら世間は正月だといっても、私はいつもと変わらない日常を選んだ。

時々、テレビを片目に世間の流れを感じつつ、普段と変わらない面持ちで過ぎ行く日々。しかし利用者には正月を感じてもらうべく奔走。面会に来る家族に挨拶した回数は数知れず。

連勤が終わって一息する。流れに逆らい続けたこの期間は、自分で決めたのだけれど、世間から取り残されている気がしていた。

しんどかった今年の正月の話。

 

 

「私は燃えている」

余命を宣告されると、人は燃えるのだろうか。

彼の肺がんは、膵臓へ、肝臓へ転移しており、もうあまり長くないとようだ。しかし、「今こうして皆さんと会えていることが幸せですし、前は胃がんを乗り越えたのだから、もう悔いのないように生ききりたい」と彼は言う。

そう宣言した翌日、「私は燃えている、よろしくお願いします」と連絡があったよう。彼の中に沸き上がっている生へのエネルギーに、ただただ、人間の素晴らしさを見る。

あなたらしい死に向かって。こちらこそよろしく。