サイゼリヤでの食事、虚しさを体験
お昼はサイゼリヤでランチしました。
とても安いですね。
店員さんの接客もよく、まずくはないんだけれど、
ちょっとした虚しさを感じました。
この記事を読んで、
この、石田徹也さんの絵。
「燃料補給のような食事」
この絵を観て、なんだかサイゼリヤの私がこの絵に置き換えられて想像されました。
私と店員さんと食事。サイゼリヤで一体になにが起きていたのだろうか。
人がいて、注文なり提供なりを通して、人同士が関わっているはずなのに、関わっていない感がある。
食事が人同士を媒介してくれているけれど、その食事にも価値を見出せない。
人にも、食事にも、心がないんですね。
結果、生じる感情は虚しさ。
たぶんわたしは、お金払うのだからって言って、
モノと心を求めていたのだと思います。
チェーン店は友達と行った方が楽しいと思いました。