毎日を小さく切り取る

ノスタルジックな写真と、看護の話

思いが話せるトイレの中

「私はね、いろいろ自分でやれって言われるでしょう。しかも怒ったような口調で言うからね、だから自分で少しはやろうとするんだよ。でもやったらやったで『ちがう!』って言われるんだよ。そう言われるとやりたくても、ほら、お世話になっているからね、でもやらない方がいいのかなって思っちゃうんだよね。中には全部何から何までやってもらう衆もおるけれどね、何も言わないでね。でも私はちょっとでもやりたいから教えてもらうんだけれど、忘れちゃうこともあるんだよ。そうするとその都度聞かないといけないから、悪いなぁと思っちゃうよ。『前も言ったでしょ』って怒る人もおるんだよ。でも、こうやって面倒見てくれてることに、ほんとうは感謝しないといけないんだけれどね。ほんとにありがたいと思っているよ。でも、こう、年取って体の自由がきかなくなることはほんと情けないもんだよね。そうこう言っている間におしっこが出てきそうだよ、…」

 

トイレはいつだって秘密の場所だ。

おばちゃんの日々の気持ちが、トイレの中であふれだしていた。

 

ハッとさせられたところ

○その人にとっての自立とは?何でもかんでも手伝うのって?やってもらうのもって?個人的な価値観じゃなくて、本人の意思に耳を傾けていたか?

○怒ることは、その人の脳(意思)を奪っている

○体の自由がきかないことに対して、その状状況に置かれた人の心を理解しようとしていたか?

 

おばあちゃんのなかに、こんな葛藤があったなんて思いもしなかった。しかもこんなにつらつらと。

最後に、「こういうこともね、言える人と言えない人がいるんだよ。私はなんでもすぐに忘れてしまうから、あなたの名前すらもわからないけれど、話を聞いてくれそうだから言ったのよ。」と。

勇気に感謝するとともに、この気持ちを受けて、自分にできること、自分をどう変えられるかをかんがえる。